2007年08月29日

大文字

daimonji_map.gifお盆の8月16日の夜に、五つの山々に灯る送り火の一つ、それが大文字です。今も昔も送り火の中心として考えられており、江戸末期には送り火の総称として「大文字焼き」と言われていました。

明治になると「送り火」と称される事が多くなり、最近になり「大文字の送り火」という総称が使われるようになりました。

場所は銀閣寺の奥、左京区東山如意ヶ嶽(正確には如意ヶ嶽の前山となる大文字山465メートル)にあり、昔から地元の浄土寺の人たちが執り行う行事でした。

今では夏の風物詩として有名な大文字の送り火ですが、その起源や由来が謎に包まれている事は意外と知られていません。

長らく日本の首都であった平安京では、そのほとんどの行事や風物は朝廷などによる公式な記録が残っていますが、大文字の送り火については、そのような公式記録がなく、「いつ、だれが、何のために」始めたのかは、謎のままになっています。

「あくまでも民衆による自発的な行為だったので記録されなかったのでは」とも言われていますが、今でも現代人の目を惹く大文字、昔の人々にとっては、さぞかし夏の夜の一大パノラマだったでしょう。
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五つの送り火と点火時刻

8月16日の夜午後8時、京都市内のネオンがいっせいに消されると左京区東山如意ヶ嶽の「大文字送り火」に火が灯ります。

その後に続き、同10分 左京区松ヶ崎の「妙法送り火」、同15分 北区西賀茂の「船型万燈籠送り火」、同15分 北区大北山の「左大文字送り火」、同20分 右京区鳥居本の「鳥居形松明送り火」、と、京都の町をぐるりと取り囲む山々に反時計回り(左回り)に次々と火が灯っていきます。

それぞれの送り火が燃えている時間は、約30分と昔から変わらないそうです。

これらの五つの送り火を総称して「五山の送り火」とも言われていますが、江戸末期頃は、全部で十の山々で送り火が灯されていたそう。

明治から昭和初期にかけて現在の五山になりました。
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よく見えるポイント

五山はおおむね京都の町の北方に位置しており、祇園祭が下京の町の人々の祭りであったのに対して、大文字の送り火は上京の人々の行事だったとも考えられています。

また御所の天皇から見えやすい山を選んで送り火がされたとも言われています。

送り火が綺麗に見える場所としては、すでに中世から鴨川で見物したと文献に残っているとおり、現在でも丸太町通り以北の鴨川、賀茂川、高野川にかかる橋の上から見るのが一番とされています。

中でも主役の大文字を見るには、今出川通りの鴨川三角州にかかる今出川大橋からの眺めが最高だとされています。
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点火の方法

現在でも松の護摩木と薪が使われており、護摩木は最初の点火用として用いられます。

17世紀頃までは松明が用いられ火を燃やす位置を決めるために小石を置いて目印にしていたとされていますが、やがて斜面に穴を掘り、それを火床とするようになります。

昭和40年頃になると、全国的に自然の環境保護の気運が高まり、送り火でも穴を穿つことによる山の斜面の自然風化を防ぐために大谷石で作られた火床が設置されるようになりました。
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